2010年8月6日金曜日
■作品「ありがとう」を寄贈
1、秋田中央森林組合さん
秋田経済同友会の松枯れ対策事業でお願いしたところ。
2、T課長さんに
いろいろ食い違いもありまして、ご難儀をおかけしたT課長さんに感謝を込めて「ありがとうございます」
3、町内の松枯れ対策事業
町内の広い地域の松枯れがおかげさまで、きれいになりました。
2010年7月31日土曜日
■病院に巨大「ありがとう」
母親が大変にお世話になった秋田組合総合病院に巨大な「ありがとう」を贈呈しました。
母親がお世話になった後、小さな「ありがとう」贈っていましたら、一番いい場所に飾っていました。でも小さいのが気がかりでした。もっと大きな作品で病院に行く人々が「感謝の心」によって「希望」が生まれれることを願って贈らせていただきました。
1、作品「ありがとう」
2,解説
3、春日大社 葉室頼昭宮司
著書「感謝の心」
上記解説は羽室宮司さんのものです。この本からいただきました。深い深い 心に響く本です!
みなさん同じことを申しております、中村天風も説いています。
昭和40年の講演にこのように説かれています。(P138)
「どんな場合でも感謝にふりかえてごらん。すると、この心の持つ歓喜の力は、これはもうなんとも形容のできない人生のエクスタシーを感じる事実となってあらわれてくる。また、それを求める必要もない。報いを求めちゃいけない。自分の生きている間、何ともいえない楽しさ、朗らかさ、おもしろさの耐えざる連続だというような生き方にしなけりゃあ。それがとりもなおさず、人の生命と宇宙本体の生命との調子を合わせるダイヤルになるんだよ。」
ヨガの哲学はこう言っている。人間の喜びの感情は、宇宙本体と自分とが結び付けられた喜びを探知する音楽だ。運命統制の秘訣はここにあるということがわかったろう。」
■作品 「天寿」
おもしろい材料があったので、何にするか構想を練っていたらこんなものになりました。
1、作品「天寿」
材料:埋もれ木ケヤキ
書 :泰山金剛経
又は清酒「天寿」から
技法:浮かし彫り
寸法:60×300×15
瓢箪で「天寿」となりました
「天寿とは」
その人に予め定められた寿命があるものとして、それを天寿または寿命といいます。 人それぞれのものであって分からないが、DNAをすべて読めるようになれば、 受精した瞬間に、この命は途中の事故がなければ、何歳ごろ、どこのがんで亡く なることが分かるという遺伝学者もいますが、それが分かるようになることは、人 間にとって幸福なこととは思えません。 85歳くらいまで生きれば、本人も、残された家族も「歳に不足はない、天寿を全 うした」と考えるのが普通ではないでしょうか。 現在平均寿命が女性では83歳、男性では77歳になっています。平均寿命はその年に生まれた子どもが平均して生きる寿命をいうので、すでに50歳、60歳になっている成人の平均予命は平均寿命プラス何年かになり、85歳まで生きること、すなわ ち天寿を全うすることは、難しいことではない状況になっていると考えてよいでしょう。
2、日本酒 天寿
美味しいお酒「天寿」ではありますが・・・
3、泰山金剛経からです
●摩崖書とは・・・ | |
自然の石壁の一部を削りならす、あるいはそのまま直接利用して、その壁面に紀事文・詩・仏典・仏像等を刻したものを「摩崖書」といいます。 「泰山経石峪金剛経刻石」は摩崖書の代表的なもので、刻された年代は今から約1500年ほど前の北朝時代です。 | |
「泰山経石峪金剛経刻石」→ | |
↓摩崖書の文字を写し取っているところ | |
4、天寿も
B0193 泰山経石峪金剛経刻石 選字 「天」 軸装 拓心 44×50cm 軸寸 132×62cm | |
(拓本部分) |
「寿」も拓本の中にあります。
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2010年7月30日金曜日
2010年7月29日木曜日
■作品「希望」
こざくらの丘の小径に「希望の小径」と名づけて、「希望」を彫っていましたら、なんと経済アナリスト藤原直哉さんの近刊の書を買い求めましたら、裏表紙にサインがあり、それに「希望」と書かれていました。
1、作品「希望」
材料は古い古い「秋田杉」・・・古材活用です。
普通の杉は彫るのが大変ですが、天然の秋田杉は彫りやすいのです。
節から「希望の光」が放っているようです!!
2、希望とは
(「魔法の言霊」より)
希望とは、夢が具体的な形状をとりつつある状態。夢が存在としてのエネルギーなら、活動をはじめたプラズマ状態と考えると分かりやすい。夢の実現になすべきことを具体的に書き表すことで、実際に使えるエネルギーに変換できる。
3、藤原直哉さんのサイン
うれしいですね! 藤原直哉さんのサインです。しかも「希望」
なぜ「希望」がうれしいか? 「希望」がシンクロニテイしたからです。
4、なぜ、希望のシンクロニテイなのか
私が今の時代には「希望」が必要と思って「希望の小径」をつくりました。
藤原直哉さんが新刊書「神の世直し! 大恐慌3年目!!」にサインしていただいたのが「希望」 これをシンクロニテイ(共時性)といいますね!!
大恐慌の大変な時代だからこそ、どんなときでも「希望」をもとうということでしょう。
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2010年7月22日木曜日
2010年7月4日日曜日
■作品:二宮尊徳翁の教え
二宮尊徳翁の教えを彫りました
1、音もなく香もなく・・・
材種:ケヤキ
寸法:7×300×10
塗装:オイル仕上げ
解説
毎日繰り返し繰り返し示されている大自然の教えの中に、「まこと」の道ははっきりしと生きているんだ。
こういう尊い大自然を省みないで、人の書いた書物の中に道を求めようとする学者たちの言うことを、ワシは取り上げる気はない。よくよく目を開いて、大自然の教えるところを注意いして見つけ出し、これを人生に十分活かすように心掛けることが大切なんだよ。(P4)
元来、この世でヨコに最も平らなものは水面で、縦に最も垂直なのは下げ針なんだ。このようにすべて永久不変のものがあるからこそ、地球の測量もできるわけで、これがなくては測量のしようがないんだ。
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2、古道に積もる木の葉を・・・
「古道に積もる木の葉をかきわけて天照らす神の 足跡を見ん」
解説
「古道(ふるみち)」とは日本固有の大道をい。「積もる木の葉」とは儒仏をはじめ諸子百家の書物の多いことをいう。
日本固有の大道を見るには、木の葉のような書物をかき分けかき分け探さないといかんのだよ。お前たちが落ち積もった木の葉に目をうばわれるのは大きな間違いだ。木の葉をかき分け捨て去って大道を得ることに励むことだ。そうしないと真の大道は決して自分のものにはできないんだぞ。(P111)
「音もなく香もなく常に天地は書飾る経を 繰り返しつつ」
材種:ケヤキ
寸法:7×300×10
塗装:オイル仕上げ
解説
毎日繰り返し繰り返し示されている大自然の教えの中に、「まこと」の道ははっきりしと生きているんだ。
こういう尊い大自然を省みないで、人の書いた書物の中に道を求めようとする学者たちの言うことを、ワシは取り上げる気はない。よくよく目を開いて、大自然の教えるところを注意いして見つけ出し、これを人生に十分活かすように心掛けることが大切なんだよ。(P4)
元来、この世でヨコに最も平らなものは水面で、縦に最も垂直なのは下げ針なんだ。このようにすべて永久不変のものがあるからこそ、地球の測量もできるわけで、これがなくては測量のしようがないんだ。
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2、古道に積もる木の葉を・・・
「古道に積もる木の葉をかきわけて天照らす神の 足跡を見ん」
解説
「古道(ふるみち)」とは日本固有の大道をい。「積もる木の葉」とは儒仏をはじめ諸子百家の書物の多いことをいう。
日本固有の大道を見るには、木の葉のような書物をかき分けかき分け探さないといかんのだよ。お前たちが落ち積もった木の葉に目をうばわれるのは大きな間違いだ。木の葉をかき分け捨て去って大道を得ることに励むことだ。そうしないと真の大道は決して自分のものにはできないんだぞ。(P111)
2010年6月30日水曜日
■作品「晴れてよし曇りて・・」
山岡鉄舟の
「晴れてよし曇りてよしふじの山」
書 :山岡鉄舟
材料:屋久杉
寸法:250×200×30
山岡鉄舟とは
その後、工夫をして、何度も試合に臨んだだが、山岡はことごとく敗れた。山岡は悩んだ。毎日稽古をして工夫をする。誰もいない道場に出て、座して眼を閉じ、心を集中して浅利のことを考える。すぐに浅利との対面場面が浮かぶ。浅利の姿は山のような感じで圧倒してくる。
山岡はとうてい打ちかかっていけなかった。自然現象、商人の話などあらゆることから剣の極意を学ぼうとした。
しかし、苦心しても工夫してもなお、秘訣を得られない山岡は、己の愚鈍(ぐどん)と熱意の不足が原因だと焦燥(しょうそう)した。山岡は適水禅師(てきすいぜんじ)に悩みを打ち明けた。適水は励ました。
「例えて言えば、現在のお前は眼がよいのに、眼鏡をかけてものをみているようなものだ。もし、その眼鏡を取り去ることが出来れば、望みどおりの極到に達することが出来る。お前は剣と禅に達しつつある。
いったん道のあるところを悟ることが出来れば、無敵の境地に入れよう。
肝心なことは無ということだ」
以来10年、山岡は工夫を重ね、禅と剣法の修行で次第に境地を高めていった。
「晴れてよし曇りてもよし富士の山 もとの姿はかわざりしを」表面は晴れたり、曇ったりして変わる。
でも、壮麗な富士山の本質は変わらない。表面的な事象で、慌(あわ)て、心を乱している自分を自ら諌(いさ)めた歌である。それからまた、修行し、工夫を重ねた。
ある日、座禅を組んでいると、天地間に何物もないという心境になった。座ったまま浅利と試合をする姿勢をとったが、いつも必ず立ちはだかる浅利の幻影が見えなかった。
すぐに門人の籠手田安定(こてだやすさだ)を呼んで、木刀をもって立ち合った。山岡の木刀が少し動いただけで、籠手田は「先生、お許しを」と叫んだ。 今だかつてない先生の剣勢で、立っていられないと、言った。
浅利に試合を申し込むと、浅利は喜んで山岡のところに来た。浅利は木刀を構え、電光のような気合を発した。
が、山岡は微動だにしなかった。突然、浅利は木刀を捨て、言った。「ついにやりましたね。昔日の比ではありません。段違いの強さです。私もかないません。一刀流の秘伝を授けます」
2010年2月4日木曜日
2010年1月16日土曜日
■看板そば屋「きちじ」さん
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