2010年6月30日水曜日

■作品「晴れてよし曇りて・・」



山岡鉄舟の
「晴れてよし曇りてよしふじの山」






















書  :山岡鉄舟
材料:屋久杉
寸法:250×200×30


山岡鉄舟とは

の後、工夫をして、何度も試合に臨んだだが、山岡はことごとく敗れた。山岡は悩んだ。毎日稽古をして工夫をする。誰もいない道場に出て、座して眼を閉じ、心を集中して浅利のことを考える。すぐに浅利との対面場面が浮かぶ。浅利の姿は山のような感じで圧倒してくる。
山岡はとうてい打ちかかっていけなかった。自然現象、商人の話などあらゆることから剣の極意を学ぼうとした。
しかし、苦心しても工夫してもなお、秘訣を得られない山岡は、己の愚鈍(ぐどん)と熱意の不足が原因だと焦燥(しょうそう)した。山岡は適水禅師(てきすいぜんじ)に悩みを打ち明けた。適水は励ました。
「例えて言えば、現在のお前は眼がよいのに、眼鏡をかけてものをみているようなものだ。もし、その眼鏡を取り去ることが出来れば、望みどおりの極到に達することが出来る。お前は剣と禅に達しつつある。
いったん道のあるところを悟ることが出来れば、無敵の境地に入れよう。
肝心なことは無ということだ」
以来10年、山岡は工夫を重ね、禅と剣法の修行で次第に境地を高めていった。
晴れてよし曇りてもよし富士の山 もとの姿はかわざりしを」表面は晴れたり、曇ったりして変わる。
でも、壮麗な富士山の本質は変わらない。表面的な事象で、慌(あわ)て、心を乱している自分を自ら諌(いさ)めた歌である。それからまた、修行し、工夫を重ねた。
ある日、座禅を組んでいると、天地間に何物もないという心境になった。座ったまま浅利と試合をする姿勢をとったが、いつも必ず立ちはだかる浅利の幻影が見えなかった。
すぐに門人の籠手田安定(こてだやすさだ)を呼んで、木刀をもって立ち合った。山岡の木刀が少し動いただけで、籠手田は「先生、お許しを」と叫んだ。 今だかつてない先生の剣勢で、立っていられないと、言った。
浅利に試合を申し込むと、浅利は喜んで山岡のところに来た。浅利は木刀を構え、電光のような気合を発した。
が、山岡は微動だにしなかった。突然、浅利は木刀を捨て、言った。「ついにやりましたね。昔日の比ではありません。段違いの強さです。私もかないません。一刀流の秘伝を授けます」